芽を育て、大輪の花を咲かせる

 

こんばんは。

もう1月も折り返し地点をむかえました。

私にとって、ブログを書くということはtwitterinstagramなどのSNSと違って、

なかなかの根気を要するものです。

なので、更新頻度は高くないですが、ぽつぽつと読んでくれている方が

いるようなので、前向きにやっていこうと思います。

 

さて、今回は何を書こうかなあと思っていましたが、、、

アクセス解析をみると、私のブログにアクセスしてくださる方の多くが

服部勇馬選手についてかいた記事を読んでくれているようなのです。

なので、今回は服部勇馬選手が所属する大学の陸上部長距離部門監督の

酒井俊幸監督について書こうと思います。

私が、陸上競技を好きになったきっかけをくれた人です。

 

陸上界(長距離)では、酒井監督を知らない人はほぼいないと思いますが

よく知らないという方のために。

 

ちなみに、、、ネットの世界ではこんなまとめができてる(笑)

togetter.com

これは、一先ず置いておきます(笑)

 

福島県出身の現在39歳。

学法石川高校から東洋大学に進学、箱根駅伝を3度走って実業団コニカミノルタに入社。

全日本実業団駅伝3連覇に貢献、アンカーも務めた。

2005年に、実業団を退団して母校学法石川高校の教師になり、陸上部の顧問を務めた。

その後、紆余曲折あり東洋大学陸上部長距離部門の監督になる、、、

わけなのですが、その過程が胸にぐっとくるものがあるのです。

 

ことの始まりは、2008年に起こった東洋の陸上部員の不祥事。

それによって、それまで監督を務めていた川嶋さんが責任をとるかたちで退任。

その後任で声がかかったのが酒井監督だったのです。

この時を振り返って酒井監督は、こんなことを言っています。

「2008年12月の不祥事のあと、年内に一度、川嶋さんから電話をいただいた。

監督就任の打診だったが、即答でお断りした。

学法石川高の陸上部もこれからという時期で、県内の有力な中学生を私が勧誘し、

翌春には強い選手が集まることになっていた。私は2年生のクラス担任であり、翌年には生徒たちを卒業させなくてはならない。」

とあるように、酒井監督らしい責任感や義理、人と人との関係性を大切にする気持ちから最初は引き受けるつもりはなかったそう。

でも、そのすぐ後に迎えた2009年の箱根駅伝での東洋大学の初優勝にも立ち会い、

自らの父と人生を照らし合わせて、「生きているからには『路傍の石』の小説のように、何か生きた証を残したい」と思い、監督になることを決意したそう。

 

酒井監督が当時の教え子に学法石川を去り、東洋大学に行くことを伝えた時の話が

箱根駅伝ナイン・ストーリーズ』に含まれてます。

酒井監督は、自著で「今振り返っても、あのときのことは、一生忘れない。打ち明けるのは本当につらかった。裏切ってしまったのだから、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。」と言ってて、「君たちが誇れる監督になる」と誓ったそう。

生徒たちからは、自分たちが大学にお願いすれば辞めなくてすむんですか?というような声もあがってみたいで。

隅々から、酒井監督がいかに良い教師で愛されていたかがわかる。

このことがあったから、今の酒井監督があるんだろうなと思う胸がしめつけられる。

この人に出会えた生徒たちは、本当に幸せ者だと思う。

 

そして、2009年に監督に就任し翌年2010年の箱根駅伝でも総合優勝。

山の神と呼ばれた柏原竜二選手(現FUJITSU)がいたこともあったが、彼が卒業してからも着実に結果を出してきたから酒井監督の手腕は本物なんだと思う。

他大学の監督からも、「策士」と言われてるくらいだからねえ(笑)

監督就任時からの3大駅伝の成績・・・

     出雲 全日本 箱根

2009年度 3位  2位  1位

2010年度 4位  3位  2位

2011年度 1位  2位  1位

2012年度 2位  2位  2位

2013年度 2位  2位  1位

2014年度  ×  4位  3位(※出雲は中止)

2015年度 4位  1位  2位

 

一目瞭然ですよね。本当に。

 

全てのことの触れると『その一秒をけずりだせ』と重複してしまうので、やめておきます。

私がなぜ酒井監督が好きなのかを主に・・・。

まず、第一印象はかっこいい!イケメン!でした(笑)

冒頭にあげた、記事と同様。

というか、それまで特に力を入れてみていたわけではない箱根駅伝

みるようになったキッカケをくれたのが酒井監督なんです。(前にも少しかいたね)

私の母親が、東洋大学の監督若くて生徒と一緒にいたら紛れるね。って言っていて、よくよくみてみたら、「かっこいい、、、、」となりました。

私、元サッカー選手の宮本恒靖さんが好きなんですね。わかりますよね、どこか似てる。※宮本恒靖公式サイト

それからは、ただかっこいいだけの人じゃないことがわかりました。

大会が終わったあとに、必ずチームミーティング(報告会)があるのだけど、

そこにはメディア・ファンも立ち会うことができます。

その時に酒井監督が、生徒にかける言葉が何よりも好きなのです。

生島淳さんも文庫のあとがきでこんなことをいっています。

「ひとつの大会が終わると、必ず東洋大学円陣に向かいます。酒井監督が学生たちを前に、どんな話をするのか聞きたくなるのです。」

この一文読んだとき、すべてが救われた気がしたの。

今年の箱根は勝てなかったけど、あーまだ大丈夫だ。また強くなれるはずって思った。

 

「選手は、何かをきっかけに変わるものだ。大切なのは彼らの旬を逃さないこと、その旬なときにどんな言葉を投げかけるか、どんな経験をさせるかだ」

と酒井監督が言ってるように、「言葉」をとても大切にしている人。

以前、BSの番組に出演したときに学生たちとのコミュニケーションにはすごく気をつかっているっていう話をしてた。

 今の子たちは、頭ごなしに言うと落ち込んでしまうことが多いから、

直接言うべきなのか、あるいはメールなどをつかうべきなのか(メールだと記録として手元に残るから、メリットもあると)、また自分からではなくマネージャーから言ってもらうべきなのかなどなど色々と考えるそう。

 

外見は若くてイケメン、でもどこかクールそうな酒井監督だけど

胸には熱い思いがこもっていて、それを出し惜しみしているわけでもない。

ちゃんと、近くにいるスタッフや選手にはそれが伝わっている。

だからこそ、現役の学生はもちろん卒業生からも今でも慕われているんだろうなと。

 

それを、しっかり卒業生は受け継いでいると思う。

今年卒業してしまう服部勇馬選手のあいさつや話し方からそれが確かに伝わってくる。

 

それを示すエピソードを一つ。

2015年の出雲駅伝は、1区でアクシデント(コース間違え)があって、4位に終わってしまったんだけど、その後選手ミーティングで勇馬くんがかけた言葉・話し方。

書くより、みてもらったほうがよいと思うので。

2:50あたりからです。


密着!箱根駅伝 春夏秋冬〈後編〉part3

 

まるで酒井監督を彷彿とさせるようだった。

彼のリーダーシップがなかったら、今年のチームは全然違ったんだろうなと。

 

酒井監督みたいな人に出会ってたら、私の人生はどうなってたんだろう、、、

とか「たられば」をどうしても考えてしまうけど(笑)

自分は自分で頑張っていくしかないなと、選手たちをみていつも奮い立たされます。

 

これからも酒井監督が率いる東洋大学をみつづけていきたいなと思ってます。

 

 

ここでの引用は全て、この2冊から。

www.toyo.ac.jp

books.bunshun.jp